2013年大晦日、母が入院しました。
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2013年大晦日、実家の母が骨折して入院。
ことの顛末を綴ってみようかと。
ja
2014-05-19T09:20:58+09:00
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訪問調査
5月15日。
介護認定に必要な訪問調査。
役場の福祉担当の方とケアマネさんの2人がいらしたそうだ。
後日、ケアマネさんから電話があり、母に直接質問するには憚られる質問をされた。
(トイレはちゃんと一人で行けてるか? 認知症と思われる言動はあるか?など)
ケアマネさんの母に対する第一印象は「とって...
介護認定に必要な訪問調査。
役場の福祉担当の方とケアマネさんの2人がいらしたそうだ。
後日、ケアマネさんから電話があり、母に直接質問するには憚られる質問をされた。
(トイレはちゃんと一人で行けてるか? 認知症と思われる言動はあるか?など)
ケアマネさんの母に対する第一印象は「とっても元気なお母さんですね」でした。
退院後にみられた不安定な言動も少しずつ収まりつつあるようで、
床に座った状態で自力で立ち上がれないという不安はあるものの、
そんなに介護支援が必要な状態だとは思われなかった模様w
認定取れても「要支援1」くらいでしょうか。
正直、退院直後の状態があまりにも不安だったので
急いで申請したのですが、なんとなく早まったかな?な感じもしてきました。
まぁ、これで「非該当」とい結果になったとしても
申請の手順は確認出来たし、ホームドクター含め直接お会いしてお話が出来たのは良かったです。
まずは判定待ち。]]>
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2014-05-19T09:20:58+09:00
すーさん
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メモ 退院後の母の状態(身体)
退院前に注文した杖と、町から付与された杖合わせて2本。
杖無しでの歩行は可能(というか、すぐ何処かに置き忘れて来る)
椅子やベッドへ座ったり立ち上がったりするのは問題無し。
しかし、歩行重視のリハビリだったようで、
怪我してない側の足の筋力が相当落ちている模様。
一度床にお尻をついてしまうと、自力...
退院前に注文した杖と、町から付与された杖合わせて2本。
杖無しでの歩行は可能(というか、すぐ何処かに置き忘れて来る)
椅子やベッドへ座ったり立ち上がったりするのは問題無し。
しかし、歩行重視のリハビリだったようで、
怪我してない側の足の筋力が相当落ちている模様。
一度床にお尻をついてしまうと、自力で立ち上がれない。
片方の足を床について踏ん張ることが出来ない。(片足立ちが出来ない)
何かに掴まればなんとか立ち上がることは出来るが
黙って観察していると「お尻が逃げている」ようにも見える。
床に座っている状態で既に足は「膝を曲げている」状態なのだが
立ち上がるために「膝を曲げる」のは痛いという。
本人が如何に恐怖心を克服するか? が 回復の鍵のような気も。
ちなみに、実家の物置には既に
http://silver-car.info/?pid=11399011 のようなものが置いてあり、
近距離であれば自力で買い物には行けそうである。
(自分が食べる分だけで良いので)
まずは筋トレと、外出に対する恐怖心の克服かな、、、。
念のため、「電子レンジでチン」メインの食料品を大量に買い込んで冷凍。
単身高齢者向け(弟も同居はしてますが食事は別)
の食事宅配業者のパンフレットを数社分取り寄せる。
パソコン&インターネットが使えればもっと幅は広がるのだが
70代後半にはハードルが高すぎる。
父が転居したサ付高齢者住宅は、各部屋に固定電話が引けないので
各自携帯電話を所持。
果たして父に使いこなせるかどうか微妙なところである、、、。]]>
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2014-05-08T10:27:34+09:00
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メモ 退院後の母の状態(メンタル)
記憶障害?
4ヶ月の入院生活、テレビも殆どなく、
転院してからは同室の患者とも病院スタッフともあまり話をしない
(出来ない)状態だったと思われる。
完全な浦島太郎状態。
日常で当たり前に出来ていたはずのことも覚えて無かったりる。
同じ話を一定のスパンで何度も何度もする。耳タコ状態。
話したことを忘...
記憶障害?
4ヶ月の入院生活、テレビも殆どなく、
転院してからは同室の患者とも病院スタッフともあまり話をしない
(出来ない)状態だったと思われる。
完全な浦島太郎状態。
日常で当たり前に出来ていたはずのことも覚えて無かったりる。
同じ話を一定のスパンで何度も何度もする。耳タコ状態。
話したことを忘れている。
(これは、話の内容が変わっただけで入院前と変わらず)
何度も何度も同じことを聞く。
ものの置き忘れ。(加齢によるもの?)
姉夫婦が父の荷物をどんどん梱包して部屋から運び出す姿を見ていても
「お父さん、本当に九州に行っちゃうの? もう決まってるの?」
と何度も確認する。
介護認定(申請)に主治医の意見書が必要なため、病院に連れて行ったが
「私がボケたと思って慌てて医者に見せたんでしょ!」とブチ切れる。
母は父と違って社交性もあり、友達も多いので
たくさんの人と話をすることで脳が活性化して少しずつ通常運転に戻るような気もするが、
父の転居があまりの急展開でもあるため、いまひとつ現状に対応出来てない印象。
認知症の初期症状である可能性も。
現状では判定不可能。]]>
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2014-05-08T08:49:05+09:00
すーさん
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転ばぬ先の杖
5月2日。介護申請手続き。
朝イチで両親のホームドクターがいるクリニックへ。
主治医にこれまでの経緯と現在の母の状態を話すと
「早いうちに申請したほうがいいね。まずは申請をして、
そのあと一度お母さんを連れてきてください。」との言葉を戴く。
ちなみにこのクリニックは午後から往診があるため、動ける...
朝イチで両親のホームドクターがいるクリニックへ。
主治医にこれまでの経緯と現在の母の状態を話すと
「早いうちに申請したほうがいいね。まずは申請をして、
そのあと一度お母さんを連れてきてください。」との言葉を戴く。
ちなみにこのクリニックは午後から往診があるため、動けるのはこの日の午前中だけ。
姉に車を出して貰い、まずは地域包括支援センターへ。
窓口で担当者から説明を聞きながら、要介護(更新)認定申請書を記入し提出。
弟も仕事があり、色々と背負わせているため、
医療と介護の窓口と連絡係りを私が引き受けることにする。
仮のケアマネとして、手続きを担当してくれた方が引き受けてくれることになった。
申請書提出後、一度実家に戻ってから母を連れて再度クリニックへ。
母は主治医をとても信頼いているためとても喜んでいた。
体調や天候が悪い時は往診をして下さるし、定期的に医療者の目が入ったほうが良いからと
訪問医療や看護を積極的に引き受けて下さるというのがとてもありがたい。
婦長さん(?)と諸々と打ち合わせを終え、実家に戻る。
ちなみに、母を迎えに実家へ戻ったタイミングで引越し業者が到着しており、
入れ替わるようにクリニックへ行ったので、
父の荷物をトラックに積み込んでいく光景を
母に見せることなく終えられたのは良かったのかもな、、、とも。
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2014-05-07T09:47:05+09:00
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帰省・退院・そして引越し
5月1日帰省。
駅から真っ直ぐ母の入院先へ。
先に到着していた弟が準備を済ませ、ロビーで母と二人で待っていました。
弟は仕事へ戻り、私と母はタクシーで実家へ。
実家へ戻ると、姉夫婦が父の引越し作業をしていました。
翌日には業者が荷物を引取りにやって来ます。
「自分で自分の面倒をみる」ことに嫌...
駅から真っ直ぐ母の入院先へ。
先に到着していた弟が準備を済ませ、ロビーで母と二人で待っていました。
弟は仕事へ戻り、私と母はタクシーで実家へ。
実家へ戻ると、姉夫婦が父の引越し作業をしていました。
翌日には業者が荷物を引取りにやって来ます。
「自分で自分の面倒をみる」ことに嫌気をさした父。
母の退院日が決まる前に、介護サービス付き高齢者住宅への転居を決めていました。
20年以上前に嫁いで遠い街で暮らす姉を頼ることにしたようです。
姉が純粋に父の事を心配して引き受けたのか、
何かしらの下心があってのことかは解りません。
正直、これが家族皆で話し合って納得した末のことであるなら。
父と母、老いた二人の介護が必要になった時、
負担が一人になるということを考えれば、姉に感謝することも出来たのだろうと思います。
ですが、わずか一ヶ月。
たった一ヶ月の間に高齢者住宅を決め、契約し、引越しの手配まで済ませて
そして母の退院を待たずに父を連れて行こうとしている姉。
「退院するまで待って」という母の頼みも聞こうとせず出ていこうとしている父。
4ヶ月という長い入院生活を終え、やっと家に戻ってきたら
夫が家を出て行く準備をしている。
その光景を目の当たりにした母の気持ちは如何程のものか。
明らかに母の精神は混乱していました。]]>
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2014-05-06T21:03:02+09:00
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退院日を決めるからね
2013年12月31日に骨折して入院生活を送っていた母。
2月末には地元の病院へ転院し、リハビリを続けておりました。
4月も下旬に差し掛かった頃、両親と同居しており、
転院した後も母のサポートをしてくれていた弟からSOSの電話。
殆ど退院しても構わない状態まで回復しているように思えるのだが、
...
2月末には地元の病院へ転院し、リハビリを続けておりました。
4月も下旬に差し掛かった頃、両親と同居しており、
転院した後も母のサポートをしてくれていた弟からSOSの電話。
殆ど退院しても構わない状態まで回復しているように思えるのだが、
母がグズグズと退院したがらないように見える。
長い入院生活で、認知症ではないか?と思われる症状も出てきた。
「もう俺は限界だ。これ以上入院してるって言うなら俺はもう病院へは行かんぞ」
仕方無いので、母の入院先に電話。
本来は取り次いで頂けないとのことだが、病棟に電話を繋いで貰い、
それとなく「連休帰るつもりだけど、まだ退院出来ないの?」と促してみる。
心持ち、母をやる気にさせたところで看護師さんにも確認。
「実際のところ、母の状態はどうなんでしょう?」
看護師さん曰く、病院からはもういつ退院しても構わないということは伝えてあること。
けれど、本人が4月いっぱいまで入院していたい。と言っているのでそのままであること。
後日、再確認の連絡を経て、5月1日を退院日に決定。
「4月いっぱい」という母の希望は叶えられるのだし、
母にはその後向き合って貰わねばならぬ問題が控えているのです。]]>
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2014-05-06T20:04:30+09:00
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ゲリラ帰省2
さて、父親の様子ですが
足が痛い肩が痛い歯が悪いうんちゃらかんちゃら言ってましたが、
台所も居間も予想してたほど荒れてはおらず、
洗濯機の使い方も弟から習って使えるようになっていたし、
パックのご飯を買っていると聞いていましたが、
今は三食分ずつ炊飯器で炊いて食べている模様。
ただ、母方の親戚から...
足が痛い肩が痛い歯が悪いうんちゃらかんちゃら言ってましたが、
台所も居間も予想してたほど荒れてはおらず、
洗濯機の使い方も弟から習って使えるようになっていたし、
パックのご飯を買っていると聞いていましたが、
今は三食分ずつ炊飯器で炊いて食べている模様。
ただ、母方の親戚から届いたと思われる見舞いの品(生物)を、一か月近くも常温で放置して駄目にしてしまっていたのはちょっと泣きました(苦)
なんでこうウチの両親は食べ物を粗末にするかなー。
食べ物の無い時代に育ってるはずなんだけどなー。と不思議でなりません。
腐らすくらいなら私が食べたかった!!! という品でした。
そんなこんなで。
母の足の状態もそこまで深刻ではなく、
父は父で周囲の手を時折借りながらなんとか生活出来ていたわけですが、
今回の母の入院→長期不在がきっかけで、これまでなんとなく目を反らし続けていた家族の問題が浮き彫りになってしまいました。
義姉や伯母が父を訪ねて遥々やってくるのもその一つです。
人間の脳みそって、実に都合よく(都合悪く?)出来ていて、
自分が相手にしたことや言ったことは、加齢と共に綺麗に忘れ去っているのに
自分がされたことや言われたことは、いつまでもいつまでも執念深く覚えてるんですよね。
それら全てを水に流せ、無かったことにしろとは言わないけれど
そのことでいつまでも相手を責めても愚痴られてもタイムマシンはここには無いのだ。
行けるとしても未来だけ。過去には戻れんのです。
私と弟は、両親の残り少ないであろうこれからの人生を、
出来るだけ双方が納得した上で心穏やかに過ごして欲しい。
それだけなんですけどね。
母が退院したら退院したで、
また諸々の手続き等が必要になるかもしれない雲行きでございます。
まぁ、私も弟も親に養育される歳でも無いし、
2人が選んだ未来を後悔して泣いたり恨みごと言ったりして過ごすんじゃなきゃいいなと思います。]]>
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2014-03-16T23:09:16+09:00
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ゲリラ帰省
14日~16日と実家に帰省しておりました。
14日の夕方の便(高速バス)で帰り、今日の午後札幌へとUターン。
目的は両親の様子見と家の掃除です。
3連休~月まで、九州で暮らしている義姉と伯母が父を訪ねてくると言うのですよ。
客間として使われている和室も今は半分くらい物置だし、
母が退院したら私の部...
14日の夕方の便(高速バス)で帰り、今日の午後札幌へとUターン。
目的は両親の様子見と家の掃除です。
3連休~月まで、九州で暮らしている義姉と伯母が父を訪ねてくると言うのですよ。
客間として使われている和室も今は半分くらい物置だし、
母が退院したら私の部屋(ベッド有)を使って貰うことになってるし
ついでだから、主の居ない間に母の部屋も掃除したい。
って、ことで帰ることを弟だけに告げてゲリラ的帰省。
帰省当日は、自分の部屋を母用に改造。
元々自分のものは殆ど無いのですが、衣装ケースの配置や高さを変えたり、
出来るだけ無理のない動線を考えて場所を入れ替えたり、
ついでに、不要であろうなと思うものを処分したり。
客間は、母が転院した際に持ち帰ってきたものがそのまま放置してあったので
それらを片付けて、入院当日母が着ていた衣類もゴミ袋に入ったまま放置されてたので、
中身をチェックして洗濯。
翌15日は朝から母の部屋の大掃除を半日かけてやり、
一息ついたところで母の入院先へ。
家族の負担も考えて、転院先を地元の病院にしたのですが、
弟は若干後悔気味。
なんとなくちょっとゆる~い感じで(苦笑)
どうなんでしょうね~、、、車椅子生活にはならないにしても、
歩行器や杖は必要になるかもなぁ、、、という印象も受けました。
本人は意地でも歩けるようになってやる!と言ってましたから、その「意地」にかけるしかなさそうです。
談話スペースで2時間ほど話して病院を後にしました。]]>
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2014-03-16T22:51:46+09:00
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転院しました。
2月27日。
2013年の大晦日に救急搬送されてから約2ヶ月後、
実家のある町の総合病院へ無事に転院が完了致しました。
札幌からそれなりに遠く、交通の便も良くないので
今後は弟と父に委ねることになりますが、
移動の際も介護タクシー(車椅子)ではなく、弟の車の助手席で問題なかったようだし、
3月中...
2013年の大晦日に救急搬送されてから約2ヶ月後、
実家のある町の総合病院へ無事に転院が完了致しました。
札幌からそれなりに遠く、交通の便も良くないので
今後は弟と父に委ねることになりますが、
移動の際も介護タクシー(車椅子)ではなく、弟の車の助手席で問題なかったようだし、
3月中には家に戻れるのではないか?との話です。
まぁ、戻っても無理はさせられないのですが
経過も良好で深刻な事態にはならなかったのでひとまずは安心、、、かな。
いつもは盆と正月だけの帰省ですが、5月の連休にでも様子を見にいこうかなととも考えてます。
今回の母の入院騒動をきっかけに、
家族の中でなんとなく棚上げになっていた問題も浮き彫りになり、
(主に父親のことですが)
そちらのほうはまだ全然解決していなかったりするのですが、
父にも母にも残りの人生、出来るだけお互いに納得した上で無理なく過ごして欲しいんですよね。
確かに父より母のほうが9歳ほど年下ではありますが、
だからって「若くて健康」じゃないってことは今回のことで身にしみて解ったはず。
子供のサポートを受けつつ、夫婦が支え合って暮らすことが理想ではありますが、
それが出来ないと言うのであれば、別の方法を考えねばなりません。
まぁ、それはまた別の話です。
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2014-03-03T22:12:05+09:00
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歩行器デビュー
2月21日
出張で札幌に来た帰りに母の病院へ寄った弟から報告の電話あり。
いつもどおりの洗濯&必需品の補充。
転院の話はまだ進まず。
意外にベッドが空かないのだが、介護施設代わりの入院患者も居たりするのだろうか?
今日から、車椅子ではなく歩行器を使った歩行訓練を開始した模様。
2月に入ってから...
出張で札幌に来た帰りに母の病院へ寄った弟から報告の電話あり。
いつもどおりの洗濯&必需品の補充。
転院の話はまだ進まず。
意外にベッドが空かないのだが、介護施設代わりの入院患者も居たりするのだろうか?
今日から、車椅子ではなく歩行器を使った歩行訓練を開始した模様。
2月に入ってから次の段階へ進むペースが速いなぁ、、、。
ストレスの一番の原因になっていた父と距離を取る生活になっているため、
長年の頭痛の種だった愚痴が殆ど出ていない。
一方、父ですが、ちょいとお灸をすえました。
同じ家に息子が住んでいるのに、調理器具の使い方や解らないこと、
母への伝言を離れて暮らす娘に電話して聞くとかどう考えてもオカシイし。
父の意識を変えないことには、母が歩けるようになってもまた同じことなので。
父にも母にも残りの人生、出来るだけ良い状況で過ごして欲しいので
ちょいと厳しく接しております。
家族がお互いにきちんと向き合う最後のチャンスなのだ。
骨折り損~ではなく、怪我の功名になりますように。]]>
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2014-02-21T21:52:16+09:00
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