2013年大晦日、母が入院しました。
訪問調査
介護認定に必要な訪問調査。
役場の福祉担当の方とケアマネさんの2人がいらしたそうだ。
後日、ケアマネさんから電話があり、母に直接質問するには憚られる質問をされた。
(トイレはちゃんと一人で行けてるか? 認知症と思われる言動はあるか?など)
ケアマネさんの母に対する第一印象は「とっても元気なお母さんですね」でした。
退院後にみられた不安定な言動も少しずつ収まりつつあるようで、
床に座った状態で自力で立ち上がれないという不安はあるものの、
そんなに介護支援が必要な状態だとは思われなかった模様w
認定取れても「要支援1」くらいでしょうか。
正直、退院直後の状態があまりにも不安だったので
急いで申請したのですが、なんとなく早まったかな?な感じもしてきました。
まぁ、これで「非該当」とい結果になったとしても
申請の手順は確認出来たし、ホームドクター含め直接お会いしてお話が出来たのは良かったです。
まずは判定待ち。
メモ 退院後の母の状態(身体)
退院前に注文した杖と、町から付与された杖合わせて2本。
杖無しでの歩行は可能(というか、すぐ何処かに置き忘れて来る)
椅子やベッドへ座ったり立ち上がったりするのは問題無し。
しかし、歩行重視のリハビリだったようで、
怪我してない側の足の筋力が相当落ちている模様。
一度床にお尻をついてしまうと、自力で立ち上がれない。
片方の足を床について踏ん張ることが出来ない。(片足立ちが出来ない)
何かに掴まればなんとか立ち上がることは出来るが
黙って観察していると「お尻が逃げている」ようにも見える。
床に座っている状態で既に足は「膝を曲げている」状態なのだが
立ち上がるために「膝を曲げる」のは痛いという。
本人が如何に恐怖心を克服するか? が 回復の鍵のような気も。
ちなみに、実家の物置には既に
http://silver-car.info/?pid=11399011 のようなものが置いてあり、
近距離であれば自力で買い物には行けそうである。
(自分が食べる分だけで良いので)
まずは筋トレと、外出に対する恐怖心の克服かな、、、。
念のため、「電子レンジでチン」メインの食料品を大量に買い込んで冷凍。
単身高齢者向け(弟も同居はしてますが食事は別)
の食事宅配業者のパンフレットを数社分取り寄せる。
パソコン&インターネットが使えればもっと幅は広がるのだが
70代後半にはハードルが高すぎる。
父が転居したサ付高齢者住宅は、各部屋に固定電話が引けないので
各自携帯電話を所持。
果たして父に使いこなせるかどうか微妙なところである、、、。
メモ 退院後の母の状態(メンタル)
記憶障害?
4ヶ月の入院生活、テレビも殆どなく、
転院してからは同室の患者とも病院スタッフともあまり話をしない
(出来ない)状態だったと思われる。
完全な浦島太郎状態。
日常で当たり前に出来ていたはずのことも覚えて無かったりる。
同じ話を一定のスパンで何度も何度もする。耳タコ状態。
話したことを忘れている。
(これは、話の内容が変わっただけで入院前と変わらず)
何度も何度も同じことを聞く。
ものの置き忘れ。(加齢によるもの?)
姉夫婦が父の荷物をどんどん梱包して部屋から運び出す姿を見ていても
「お父さん、本当に九州に行っちゃうの? もう決まってるの?」
と何度も確認する。
介護認定(申請)に主治医の意見書が必要なため、病院に連れて行ったが
「私がボケたと思って慌てて医者に見せたんでしょ!」とブチ切れる。
母は父と違って社交性もあり、友達も多いので
たくさんの人と話をすることで脳が活性化して少しずつ通常運転に戻るような気もするが、
父の転居があまりの急展開でもあるため、いまひとつ現状に対応出来てない印象。
認知症の初期症状である可能性も。
現状では判定不可能。
転ばぬ先の杖
朝イチで両親のホームドクターがいるクリニックへ。
主治医にこれまでの経緯と現在の母の状態を話すと
「早いうちに申請したほうがいいね。まずは申請をして、
そのあと一度お母さんを連れてきてください。」との言葉を戴く。
ちなみにこのクリニックは午後から往診があるため、動けるのはこの日の午前中だけ。
姉に車を出して貰い、まずは地域包括支援センターへ。
窓口で担当者から説明を聞きながら、要介護(更新)認定申請書を記入し提出。
弟も仕事があり、色々と背負わせているため、
医療と介護の窓口と連絡係りを私が引き受けることにする。
仮のケアマネとして、手続きを担当してくれた方が引き受けてくれることになった。
申請書提出後、一度実家に戻ってから母を連れて再度クリニックへ。
母は主治医をとても信頼いているためとても喜んでいた。
体調や天候が悪い時は往診をして下さるし、定期的に医療者の目が入ったほうが良いからと
訪問医療や看護を積極的に引き受けて下さるというのがとてもありがたい。
婦長さん(?)と諸々と打ち合わせを終え、実家に戻る。
ちなみに、母を迎えに実家へ戻ったタイミングで引越し業者が到着しており、
入れ替わるようにクリニックへ行ったので、
父の荷物をトラックに積み込んでいく光景を
母に見せることなく終えられたのは良かったのかもな、、、とも。
帰省・退院・そして引越し
駅から真っ直ぐ母の入院先へ。
先に到着していた弟が準備を済ませ、ロビーで母と二人で待っていました。
弟は仕事へ戻り、私と母はタクシーで実家へ。
実家へ戻ると、姉夫婦が父の引越し作業をしていました。
翌日には業者が荷物を引取りにやって来ます。
「自分で自分の面倒をみる」ことに嫌気をさした父。
母の退院日が決まる前に、介護サービス付き高齢者住宅への転居を決めていました。
20年以上前に嫁いで遠い街で暮らす姉を頼ることにしたようです。
姉が純粋に父の事を心配して引き受けたのか、
何かしらの下心があってのことかは解りません。
正直、これが家族皆で話し合って納得した末のことであるなら。
父と母、老いた二人の介護が必要になった時、
負担が一人になるということを考えれば、姉に感謝することも出来たのだろうと思います。
ですが、わずか一ヶ月。
たった一ヶ月の間に高齢者住宅を決め、契約し、引越しの手配まで済ませて
そして母の退院を待たずに父を連れて行こうとしている姉。
「退院するまで待って」という母の頼みも聞こうとせず出ていこうとしている父。
4ヶ月という長い入院生活を終え、やっと家に戻ってきたら
夫が家を出て行く準備をしている。
その光景を目の当たりにした母の気持ちは如何程のものか。
明らかに母の精神は混乱していました。