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退院日を決めるからね

2013年12月31日に骨折して入院生活を送っていた母。
2月末には地元の病院へ転院し、リハビリを続けておりました。



4月も下旬に差し掛かった頃、両親と同居しており、
転院した後も母のサポートをしてくれていた弟からSOSの電話。
殆ど退院しても構わない状態まで回復しているように思えるのだが、
母がグズグズと退院したがらないように見える。
長い入院生活で、認知症ではないか?と思われる症状も出てきた。

「もう俺は限界だ。これ以上入院してるって言うなら俺はもう病院へは行かんぞ」

仕方無いので、母の入院先に電話。
本来は取り次いで頂けないとのことだが、病棟に電話を繋いで貰い、
それとなく「連休帰るつもりだけど、まだ退院出来ないの?」と促してみる。

心持ち、母をやる気にさせたところで看護師さんにも確認。
「実際のところ、母の状態はどうなんでしょう?」

看護師さん曰く、病院からはもういつ退院しても構わないということは伝えてあること。
けれど、本人が4月いっぱいまで入院していたい。と言っているのでそのままであること。


後日、再確認の連絡を経て、5月1日を退院日に決定。
「4月いっぱい」という母の希望は叶えられるのだし、
母にはその後向き合って貰わねばならぬ問題が控えているのです。

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ゲリラ帰省2

さて、父親の様子ですが
足が痛い肩が痛い歯が悪いうんちゃらかんちゃら言ってましたが、
台所も居間も予想してたほど荒れてはおらず、
洗濯機の使い方も弟から習って使えるようになっていたし、
パックのご飯を買っていると聞いていましたが、
今は三食分ずつ炊飯器で炊いて食べている模様。

ただ、母方の親戚から届いたと思われる見舞いの品(生物)を、一か月近くも常温で放置して駄目にしてしまっていたのはちょっと泣きました(苦)
なんでこうウチの両親は食べ物を粗末にするかなー。
食べ物の無い時代に育ってるはずなんだけどなー。と不思議でなりません。
腐らすくらいなら私が食べたかった!!! という品でした。




そんなこんなで。

母の足の状態もそこまで深刻ではなく、
父は父で周囲の手を時折借りながらなんとか生活出来ていたわけですが、
今回の母の入院→長期不在がきっかけで、これまでなんとなく目を反らし続けていた家族の問題が浮き彫りになってしまいました。

義姉や伯母が父を訪ねて遥々やってくるのもその一つです。

人間の脳みそって、実に都合よく(都合悪く?)出来ていて、
自分が相手にしたことや言ったことは、加齢と共に綺麗に忘れ去っているのに
自分がされたことや言われたことは、いつまでもいつまでも執念深く覚えてるんですよね。
それら全てを水に流せ、無かったことにしろとは言わないけれど
そのことでいつまでも相手を責めても愚痴られてもタイムマシンはここには無いのだ。
行けるとしても未来だけ。過去には戻れんのです。

私と弟は、両親の残り少ないであろうこれからの人生を、
出来るだけ双方が納得した上で心穏やかに過ごして欲しい。
それだけなんですけどね。

母が退院したら退院したで、
また諸々の手続き等が必要になるかもしれない雲行きでございます。
まぁ、私も弟も親に養育される歳でも無いし、
2人が選んだ未来を後悔して泣いたり恨みごと言ったりして過ごすんじゃなきゃいいなと思います。

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ゲリラ帰省

14日~16日と実家に帰省しておりました。
14日の夕方の便(高速バス)で帰り、今日の午後札幌へとUターン。

目的は両親の様子見と家の掃除です。
3連休~月まで、九州で暮らしている義姉と伯母が父を訪ねてくると言うのですよ。
客間として使われている和室も今は半分くらい物置だし、
母が退院したら私の部屋(ベッド有)を使って貰うことになってるし
ついでだから、主の居ない間に母の部屋も掃除したい。

って、ことで帰ることを弟だけに告げてゲリラ的帰省。


帰省当日は、自分の部屋を母用に改造。
元々自分のものは殆ど無いのですが、衣装ケースの配置や高さを変えたり、
出来るだけ無理のない動線を考えて場所を入れ替えたり、
ついでに、不要であろうなと思うものを処分したり。

客間は、母が転院した際に持ち帰ってきたものがそのまま放置してあったので
それらを片付けて、入院当日母が着ていた衣類もゴミ袋に入ったまま放置されてたので、
中身をチェックして洗濯。

翌15日は朝から母の部屋の大掃除を半日かけてやり、
一息ついたところで母の入院先へ。

家族の負担も考えて、転院先を地元の病院にしたのですが、
弟は若干後悔気味。
なんとなくちょっとゆる~い感じで(苦笑)
どうなんでしょうね~、、、車椅子生活にはならないにしても、
歩行器や杖は必要になるかもなぁ、、、という印象も受けました。
本人は意地でも歩けるようになってやる!と言ってましたから、その「意地」にかけるしかなさそうです。

談話スペースで2時間ほど話して病院を後にしました。

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転院しました。

2月27日。

2013年の大晦日に救急搬送されてから約2ヶ月後、
実家のある町の総合病院へ無事に転院が完了致しました。

札幌からそれなりに遠く、交通の便も良くないので
今後は弟と父に委ねることになりますが、
移動の際も介護タクシー(車椅子)ではなく、弟の車の助手席で問題なかったようだし、
3月中には家に戻れるのではないか?との話です。
まぁ、戻っても無理はさせられないのですが
経過も良好で深刻な事態にはならなかったのでひとまずは安心、、、かな。
いつもは盆と正月だけの帰省ですが、5月の連休にでも様子を見にいこうかなととも考えてます。

今回の母の入院騒動をきっかけに、
家族の中でなんとなく棚上げになっていた問題も浮き彫りになり、
(主に父親のことですが)
そちらのほうはまだ全然解決していなかったりするのですが、
父にも母にも残りの人生、出来るだけお互いに納得した上で無理なく過ごして欲しいんですよね。

確かに父より母のほうが9歳ほど年下ではありますが、
だからって「若くて健康」じゃないってことは今回のことで身にしみて解ったはず。

子供のサポートを受けつつ、夫婦が支え合って暮らすことが理想ではありますが、
それが出来ないと言うのであれば、別の方法を考えねばなりません。


まぁ、それはまた別の話です。

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歩行器デビュー

2月21日

出張で札幌に来た帰りに母の病院へ寄った弟から報告の電話あり。

いつもどおりの洗濯&必需品の補充。
転院の話はまだ進まず。
意外にベッドが空かないのだが、介護施設代わりの入院患者も居たりするのだろうか?

今日から、車椅子ではなく歩行器を使った歩行訓練を開始した模様。
2月に入ってから次の段階へ進むペースが速いなぁ、、、。

ストレスの一番の原因になっていた父と距離を取る生活になっているため、
長年の頭痛の種だった愚痴が殆ど出ていない。


一方、父ですが、ちょいとお灸をすえました。
同じ家に息子が住んでいるのに、調理器具の使い方や解らないこと、
母への伝言を離れて暮らす娘に電話して聞くとかどう考えてもオカシイし。
父の意識を変えないことには、母が歩けるようになってもまた同じことなので。

父にも母にも残りの人生、出来るだけ良い状況で過ごして欲しいので
ちょいと厳しく接しております。
家族がお互いにきちんと向き合う最後のチャンスなのだ。


骨折り損~ではなく、怪我の功名になりますように。

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