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当たり前な誤算

意外や意外、父は「弟と私」には迷惑はかけない。
食事くらい、コンビニもスーパーもあるし、自分でなんとかする!と言い切りました。

ちなみに、両親と弟は同じ家には住んでいますが、すっかりその関係は拗れてしまい、
双方余程のことが無ければ顔を合わせることもありません。
弟は「何でもかんでも人任せで自分でやろうとしない父」を嫌っていたのです。

父としては、弟には頼れず、かと言って遠方に住むに無理を言って嫌われることも出来ず、、、
ある意味苦渋の選択だったのではないかと。

しかし、自分でやると言った以上は「心細さ100%」であっても実行して貰わねばなりません。
もちろん、弟にも必要最低限の「見守り」はお願いしてでの上です。
拗れまくった家族関係を修復出来るかどうかの微妙なチャンスでもあります。


となれば、残りの日数で私がやるべきことは、
母の入院の準備&フォロー。
父の「実質・やれば出来るもん」のサポートです。

なんせ、家事など一切手伝わなかった父です。
(お風呂は自分の入りたい時に入る)
何処に何があるかも解りません。
文明の利器である電子レンジの使い方も解りません。

使いそうなものや必要なものを引っ張り出して解り易く配置したり、
足取りおぼつかない父の邪魔になりそうなものを片付けたり。

母が年末に買い込んだ食材も、可能な限り私の胃に収めなくてはなりません(これ辛かった)。

母の入院先を往復しつつも、やらなきゃいけないことは山積みのようです。

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帰宅。 父さん、頑張ろうよ?

弟が諸々揃えて駆けつけた時、実は私の帰省荷物も一緒に持って来てくれてました。

病院のある市は、ちょうど故郷と札幌の中間地点。
このまま札幌に戻るのも有りかな?と考えたそう。

でも流石に翌日は元旦。
今夜から入院となり一度も家に戻らない母の代わりに、色々とやらねばならぬことが、、、。


ということで、折角持って来てくれた荷物を再度弟の車に積み込み、
「また明日来ます」と夜勤の看護師さんに告げて病院を後にしました。

実家に到着したのは23時過ぎ。
もう年越し蕎麦とか紅白の結果とか大掃除とか言うどころじゃない(笑)
翌日持っていく予定の母の薬(血圧を下げる薬を処方されており、看護師さんからも再三念を押されたもの)を用意したあと、軽くシャワーだけ済ませました。

自室に戻ってしばらくすると、とっくに休んでる父がやって来ました。
父は父で心配で眠れなかった様子。

しょうがないなーと思いつつ、電話で話した内容をもう一度説明。
この後若干説教が混じります。

父の世代にはありがちですが、お殿様気質で会社でも自宅でも基本的に人任せの人です。
ずっと命令して人を動かすのが当たり前で、若い頃はすぐ癇癪を起こして怒鳴っていました。
やりたくないこと、出来ないことは絶対やらないタイプ。
自分が長期間札幌で入院生活をしてた時も、無理矢理母にホテル住まいをさせてまで付き添わせたくらいです。

なので今回も、当然娘の私に母の代わりを頼んでくるだろうと、、、
母も私も弟もそう思っていたのですよ。

なので、先手を打たなくては!

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待機入院?

一時間半ほどかけて某市立病院に到着。
大晦日でしたが、急患窓口は結構人がいました。

小一時間ほどして母の診察を終えた医師から説明がありました。
骨折箇所などの説明は同じです。

ただ

「基本的に、命に関わるもの以外は年末年始の手術はありませんので、
お正月休み終えてから改めて日程等のご相談になりますね。」とのこと。

それまでは、折れた骨が筋肉に引っ張られないように固定したまま入院。
術後はリハビリなどの回復状況にもよりますが、長くて二ヶ月くらいはかかります。
だそうで、、、、

えっと、、、今すぐ手術出来ないなら、地元の病院でも良かったんでね?
と正直思いましたよ~。

まず、医師から聞いた話をそのまま弟に連絡。
すると、とりあえず必要そうなものを積んでこちらに向かってるとのこと。
なので、そのまま公衆電話で一人留守番している父へ電話をかけます。

耳が遠い父に電話で説明するのも一苦労。
年末年始なので手術はすぐ出来ないこと。
長くて二ヶ月は入院になること。
私と弟は今日帰ってもかなり遅い時間になることなどを掻い摘んで説明。

すると、父が一番最初に心配したのは母のことではなく
「父さん、朝食べたっきりで夕飯まだなんだけど、、、」


ここで私の神経ちょっとブチっときたw

私だって朝食べたきりだっつーーーーーの! 
冷蔵庫開ければなんか入ってるし、注文してた御節も届いてるし、
とにかくそれくらい自分でなんとかしてくれ! 的なことを話したと思います。

この時既に20時回ってたんですねぇ。ああクラクラ。

電話終えて救急センターに戻ったら既に母は病棟に運ばれた後でした。
慌てて入院病棟まで追っかけて、母の処置が終わるのを待ちながら、
入院に必要な書類を看護師さんの説明を聞きながら埋めて行きます。

そうこうしてるうちに弟が到着。

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救急車で長距離ドライブ

「火災ですか? 急患ですか?」

確か、そんな第一声だったと思います。

簡単な症状と、命に関わる状況ではないのでサイレンの音は消して来て欲しいことを伝えました(笑)
でも、搬送先は家から車で1~2分の距離。
ほどなくサイレンの音が聞こえ、表に出て救急車を誘導。

まぁ、音は消しても赤ランプは点滅してますしね。
ご近所の方もわらわら外に出てきて様子を伺ってます。

狭い玄関に隊員(?)の方が3名入って、なんとか母を担架に括りつけて運び出します。
その間、父はオロオロして全く役に立たず、
弟とは常に携帯で連絡を取り合う状況。

父に留守番を頼み、母に付き添って救急車に同乗。
この時までは、、、そんなに長くかからんだろうとは思っていたのですよ。


2分程度の乗車で町内の救急窓口に到着。
診察の間、私は待合スペースでポツンと待たされます。
この段階で携帯電話の充電がゼロになりました(泣)

しばらくして医師から呼ばれ、母の足のレントゲン写真を見せてもらいながら説明を受けます。
大腿骨の太腿の真ん中あたりが見事に折れていること。
この病院では処置できないこと。
車で1時間半ほど離れた某市の病院が受け入れ可能であれば、このまま救急車で搬送するということ。

ここで一瞬気が遠くなるワタクシ(笑)

公衆電話で弟に連絡を取り、救急車に再度乗り込みます。
一度も家に戻ることなく、そのまま某市までドライブです。
「この病院では処置出来ない」というのは技術的な問題かと思ってましたが、
年末年始で医者が居ないってこともあったんでしょうね。

到着までの間、母はテンパってるのか脳内麻薬出ているのかずっと喋りっぱなしでしたが、
私はもう今後のことを考えたら頭の中グルグルでした。
 
 

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人生初の救急車

電話は父からでした。

「母さんが外の階段から落ちて動けなくなったところを、
裏のSさん一家が玄関まで運んでくれたんだが、
玄関に転がったまま動けないようなんだ。すまんが直ぐに帰ってきてくれないだろうか。」



実家の敷地を出るとすぐ横が河川敷の土手になります。
この家を建てて越してきた15年ほどまえ、父が頼んで設置した木の階段。

長年の雨風雪ですっかり木も腐って傷んでいるので、
危険だから使用しないでおこう、、、、と、父も母も弟も話していたそうなんですね。

なのにこの日母は何を思ったか、この梯子状の階段に積もった雪を払おうとしたらしいのです。
しかも、「ちょっと物置に」行くつもりで履いた「つっかけサンダル」のまま。
後ろ向きに雪を払いながら降りていたところに足を滑らせ、落ちたところへ木の縁にしこたま足をぶつけた模様。

恥ずかしいからと大声で助けを呼ぶこともせず、雪の中に小一時間座ったままでいたそうな。
結局、近所のご主人が見つけて下さり、ご家族がブルーシートを担架代わりにして玄関まで運んでくださったとか。

このとき私と弟は外出中、家にいた父は「母さんどこへ行ったんだ?」くらいにしか思ってなかった様子。


競歩の速度で実家に戻ると、確かに母が玄関に転がったまま。
どこが痛いのか、脊髄はどうか、頭はどうなのか、素人の頭で出来るだけ状態を確認しますが、なんせ足(膝の上で太腿の中間くらい)を動かせないくらい痛いと言うし、
落ちた時に足の向きが変だったとか言ってる。

自力でタクシーには乗れないだろう。
せめて着替えたい(無理)とか、折れてないとかゴネまくる母を説得し
ついに119番です。

まさか、こんな日が来ようとはね。

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