2013年大晦日、母が入院しました。
2013年大晦日、実家の母が骨折して入院。
ことの顛末を綴ってみようかと。
きっかけは「ぬる燗」だった
父は元々大層な酒飲みでして、ここ数年量は減ったものの、毎晩晩酌をしていました。
普段は焼酎をお湯やお茶で割ったものを飲んでいますが、
お正月だけは特別に購入した日本酒を熱燗で呑むのがいつもの風景です。
燗をつけるのは母か私の役目。
今年の元旦は母はいませんでした。
私もバタバタしていました。
なので、年明けの「一杯」は、冷たいまま呑んでいたのです。
一升瓶を開けたので、まだ瓶の半分くらい残っています。
2日の朝に、「まだ残ってるよ?呑むなら出そうか?」って聞いたところ、
「いや、そのままにしといてくれ」って言うからそのまま台所のテーブルの上に。
2日の夜は、私が鍋で「ぬる燗」を2本だけつけて出しました。
ところが、3日の夜に父はこう言ってきたのです。
「酒の、、、燗のつけかたを教えて貰えないか?ぬる燗でいいんだけど。」
お? これはチャンス?
母や私が燗を付けるときは、鍋にお湯を沸かしてその中にお銚子をつけるやり方。
でも、今の父に火を使わせることには若干抵抗があります。
(なんせ、ガス使うのに「マッチは要るのか?」って聞いた人です。いつ時代?)
「おとーさん、これねー、電子レンジ。これ使おう。教えるから。」
「ここ、この真ん中にお銚子置いて、そうそう。でココ(取説見ながら)、お酒はだいたい○○秒とか書いてるから、このダイヤル回して、、、、そうそう、で、これがスタートボタン、ぽちっと押して。そうだよー。」
齢80半ばにして初電子レンジ。
使うたびに根気よく教えて、手順書いたメモも貼って、取説もぶら下げて。
一応、お酒とおにぎりの欄にはマジックで○書いた。
幸いにして、弟が母のために購入した電子レンジはお皿の部分が回転しないもの。
前のはよく途中でお銚子倒れてたもんねー、、、、だけどこれなら大丈夫。
さて、なんとなく電子レンジを使えるようになった父。
その後はコンビニのおにぎりもパンも「レンジでチン」して食べるようになってました。
※生卵ダメとか缶詰は開けてからとか、そのへんの注意事項もマジックで書いて貼ってみました。
普段は焼酎をお湯やお茶で割ったものを飲んでいますが、
お正月だけは特別に購入した日本酒を熱燗で呑むのがいつもの風景です。
燗をつけるのは母か私の役目。
今年の元旦は母はいませんでした。
私もバタバタしていました。
なので、年明けの「一杯」は、冷たいまま呑んでいたのです。
一升瓶を開けたので、まだ瓶の半分くらい残っています。
2日の朝に、「まだ残ってるよ?呑むなら出そうか?」って聞いたところ、
「いや、そのままにしといてくれ」って言うからそのまま台所のテーブルの上に。
2日の夜は、私が鍋で「ぬる燗」を2本だけつけて出しました。
ところが、3日の夜に父はこう言ってきたのです。
「酒の、、、燗のつけかたを教えて貰えないか?ぬる燗でいいんだけど。」
お? これはチャンス?
母や私が燗を付けるときは、鍋にお湯を沸かしてその中にお銚子をつけるやり方。
でも、今の父に火を使わせることには若干抵抗があります。
(なんせ、ガス使うのに「マッチは要るのか?」って聞いた人です。いつ時代?)
「おとーさん、これねー、電子レンジ。これ使おう。教えるから。」
「ここ、この真ん中にお銚子置いて、そうそう。でココ(取説見ながら)、お酒はだいたい○○秒とか書いてるから、このダイヤル回して、、、、そうそう、で、これがスタートボタン、ぽちっと押して。そうだよー。」
齢80半ばにして初電子レンジ。
使うたびに根気よく教えて、手順書いたメモも貼って、取説もぶら下げて。
一応、お酒とおにぎりの欄にはマジックで○書いた。
幸いにして、弟が母のために購入した電子レンジはお皿の部分が回転しないもの。
前のはよく途中でお銚子倒れてたもんねー、、、、だけどこれなら大丈夫。
さて、なんとなく電子レンジを使えるようになった父。
その後はコンビニのおにぎりもパンも「レンジでチン」して食べるようになってました。
※生卵ダメとか缶詰は開けてからとか、そのへんの注意事項もマジックで書いて貼ってみました。
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出来ること・出来ないこと
さて、ちょっとだけ落ち着いた1月3日。
少し時間を貰って初詣へ。
まだ「三が日」だって言うのに、本殿の扉が閉まっているという、
やる気の見られなかった地元神社。
手水場の水も止まってたし、、、、参拝客唖然。
「自分でやる」と父は言いましたが、そもそも何が出来て何が出来ないのか?
長年同じ家と会社で父を見ていた弟曰く、
「出来るのにやんないだけなんだから、放っておきゃいいのよ」だそうで。
しかし、この上父にまでなんかあったら、私のメンタルがもちません(苦笑)
2日の夜から、とりあえず父の行動を観察してみました。
○買い物→コンビニやスーパーには行ける。(徒歩orタクシー)
○包丁使ってトマト切ったりとか、カップスープ作ったり程度は出来る。
○湯沸かしポットは使えるようだ。
○自分が使った食器を下げて洗っている!!(これはビックリ、出来るなら普段からやってよ!)
○「燃えるゴミ」「燃やせないゴミ」は、分別するという意識は一応あるみたい。
○お風呂はいつも入りたい時に入ってるのでOK.
×電子レンジ、炊飯器、ガスレンジ、オーブントースターは触ったことすらない。
×ゴミ出しも雪かきもしたことない(まぁ、死にやしないが)
×洗濯は出来ない。(弟が自分のついでにやると言ってる。ちなみに全自動。)
2日の夜、3日の朝と、コンビニから買って来て冷蔵庫に入れてたパンやおにぎりを、冷たいまま食べてる。
(あ、私が居る間はちゃんと食事の支度とかするつもりでしたが、本人がやる気になってるみたいなので、冷蔵庫の生もの片付けることに専念することにしました。)
「おとーさん、電子レンジ使えば温かいの食べれるよー?」
「いや、熱いのは父さん歯茎にしみて痛いから、冷たいままでいいんだ。」
あ、、、そんなに熱くもならんのだが。
うーーん、ダメか。
電子レンジが使えるようになれば、もうちょっと食べられるものの幅が広がるんだよな。
たまに温かいもの食べたくならない?
少し時間を貰って初詣へ。
まだ「三が日」だって言うのに、本殿の扉が閉まっているという、
やる気の見られなかった地元神社。
手水場の水も止まってたし、、、、参拝客唖然。
「自分でやる」と父は言いましたが、そもそも何が出来て何が出来ないのか?
長年同じ家と会社で父を見ていた弟曰く、
「出来るのにやんないだけなんだから、放っておきゃいいのよ」だそうで。
しかし、この上父にまでなんかあったら、私のメンタルがもちません(苦笑)
2日の夜から、とりあえず父の行動を観察してみました。
○買い物→コンビニやスーパーには行ける。(徒歩orタクシー)
○包丁使ってトマト切ったりとか、カップスープ作ったり程度は出来る。
○湯沸かしポットは使えるようだ。
○自分が使った食器を下げて洗っている!!(これはビックリ、出来るなら普段からやってよ!)
○「燃えるゴミ」「燃やせないゴミ」は、分別するという意識は一応あるみたい。
○お風呂はいつも入りたい時に入ってるのでOK.
×電子レンジ、炊飯器、ガスレンジ、オーブントースターは触ったことすらない。
×ゴミ出しも雪かきもしたことない(まぁ、死にやしないが)
×洗濯は出来ない。(弟が自分のついでにやると言ってる。ちなみに全自動。)
2日の夜、3日の朝と、コンビニから買って来て冷蔵庫に入れてたパンやおにぎりを、冷たいまま食べてる。
(あ、私が居る間はちゃんと食事の支度とかするつもりでしたが、本人がやる気になってるみたいなので、冷蔵庫の生もの片付けることに専念することにしました。)
「おとーさん、電子レンジ使えば温かいの食べれるよー?」
「いや、熱いのは父さん歯茎にしみて痛いから、冷たいままでいいんだ。」
あ、、、そんなに熱くもならんのだが。
うーーん、ダメか。
電子レンジが使えるようになれば、もうちょっと食べられるものの幅が広がるんだよな。
たまに温かいもの食べたくならない?
父さん、やってみようよ
さて、1月3~4日の2日間は、父の「実質1人暮らし」のための手伝いです。
私と弟が母の病院へ行っている間に、自分でコンビニへ行って買い物をしてきたようです。
普段、家の中のことは殆どしない父。
元気な頃はウォーキングもしていましたが、
歳を追うごとにあちこち不調になり、運転免許を返上してからは移動も殆どタクシーです。
一日の半数は、立派なマッサージチェアに座ってモミモミしています。
でもね、父さん。
筋肉は使わないとどんどん衰えて行くんだよ?
どんなにマッサージして痛みはその時緩和されても、筋力を鍛えることには役に立たないよ?
母が不在な間、少しでも生活動作を増やして欲しい。
居間と台所の間、近所へのゴミ出しや買い物。
普段母が一人でやっていることを自分でやってみて欲しい。
洗濯は弟が自分の分と一緒に洗うよって言うんだから、そこは素直に甘えなよ。
「自分まで転んで怪我でもしたら、結局家族に迷惑がかかるから、
人を雇うことも考えているんだ。」
いいよ。
お父さんのお金だし、自由にしていいよ。
全く知らない誰かに、家のことして貰うのに抵抗無いならそうしてもいいよ。
だけど「もうどうしても無理。出来ない。」って思うまでは、
もう駄目って思うまでは、ちょっと自分で頑張ってみてよ。
おだてて、なだめて、褒めて、叱って。
かなり厳しいことも言った。
なんでここまで家族関係が拗れたのかも。
年に2回しか帰ってこれないからさ、二人の愚痴も出来るだけ黙って聞いたよ。
家の手伝いだってするよ。
だけどね、それは弟に比べて私が優しくて親思いだってわけじゃないよ?
いつも一緒に居られないって、負い目のようなものがあるからだよ。
そこは、弟と比べないで。
父さんのことも母さんのことも、親だからさ、嫌いじゃないよ。
嫌いだったら年に2回だって帰って来ないよ。
だけど、黙ってても解決しないことってあるんだ。
だからキツイけど子供としてずっと思ってたこと言うよ?
酔ってるからどれだけ覚えててくれるか解んないけど。
みんな頑張ってるんだよ。
だから父さんも頑張ってよ。
少しでも家事覚えて、退院してきたら母さん助けてあげてよ。
そんな話を延々2時間ほど。
なんか最後は「なんで解ってくれないの!」って泣きそうだった。
ウチの家族それぞれが、みんな同じこと考えてんだよね、きっと。
私と弟が母の病院へ行っている間に、自分でコンビニへ行って買い物をしてきたようです。
普段、家の中のことは殆どしない父。
元気な頃はウォーキングもしていましたが、
歳を追うごとにあちこち不調になり、運転免許を返上してからは移動も殆どタクシーです。
一日の半数は、立派なマッサージチェアに座ってモミモミしています。
でもね、父さん。
筋肉は使わないとどんどん衰えて行くんだよ?
どんなにマッサージして痛みはその時緩和されても、筋力を鍛えることには役に立たないよ?
母が不在な間、少しでも生活動作を増やして欲しい。
居間と台所の間、近所へのゴミ出しや買い物。
普段母が一人でやっていることを自分でやってみて欲しい。
洗濯は弟が自分の分と一緒に洗うよって言うんだから、そこは素直に甘えなよ。
「自分まで転んで怪我でもしたら、結局家族に迷惑がかかるから、
人を雇うことも考えているんだ。」
いいよ。
お父さんのお金だし、自由にしていいよ。
全く知らない誰かに、家のことして貰うのに抵抗無いならそうしてもいいよ。
だけど「もうどうしても無理。出来ない。」って思うまでは、
もう駄目って思うまでは、ちょっと自分で頑張ってみてよ。
おだてて、なだめて、褒めて、叱って。
かなり厳しいことも言った。
なんでここまで家族関係が拗れたのかも。
年に2回しか帰ってこれないからさ、二人の愚痴も出来るだけ黙って聞いたよ。
家の手伝いだってするよ。
だけどね、それは弟に比べて私が優しくて親思いだってわけじゃないよ?
いつも一緒に居られないって、負い目のようなものがあるからだよ。
そこは、弟と比べないで。
父さんのことも母さんのことも、親だからさ、嫌いじゃないよ。
嫌いだったら年に2回だって帰って来ないよ。
だけど、黙ってても解決しないことってあるんだ。
だからキツイけど子供としてずっと思ってたこと言うよ?
酔ってるからどれだけ覚えててくれるか解んないけど。
みんな頑張ってるんだよ。
だから父さんも頑張ってよ。
少しでも家事覚えて、退院してきたら母さん助けてあげてよ。
そんな話を延々2時間ほど。
なんか最後は「なんで解ってくれないの!」って泣きそうだった。
ウチの家族それぞれが、みんな同じこと考えてんだよね、きっと。
1月2日 入院先へ
なんと弟が「セルフスタンド」で、おっかなびっくり給油してくれたので、
母の入院先へ。
タオル・洗面器・シャンプー類、スプーン&フォーク、オムツ関係。
間に合わなければ借りることは出来ますが、やっぱり急ぐのは「薬」です。
毎日、一日3回欠かさず飲んでいる薬。
大晦日の昼以降飲んでいないのです。
健康保険証と共に、お薬手帳は母に持たせているので
間に合わなかったら入院先で処方してもらえばいいのでは? と
思っていましたが、よく考えたら年末年始で窓口さえ閉まっているのですから、
当然薬局だってお休みですよね。
病院から指示されたものは一通り届けてセッティング。
個人的に「あったらいいな」的なものをヒアリング。
滞在中の短い時間(2時間ほど)の間にも、定期的に看護師さんが来てくれて、
床ずれを防ぐために身体の向きを変えてくれたり、
足の保冷剤を変えてくれたり、直してくれたりしています。
完全看護だし、お喋り好きで誰彼構わず友達扱いしてしまう母なので、
まぁ、折った箇所が足で良かったのかも?
自由に動けたのなら、絶対自分の病室でおとなしくしてないでしょうから。
「次は5日に来るね」と言い残し、弟と病院を後にしました。
母は人の話を黙って聞くということが苦手なので、5分で済む話が1時間かかります。
(;´ρ`)チカレタヨ・・・
母の入院先へ。
タオル・洗面器・シャンプー類、スプーン&フォーク、オムツ関係。
間に合わなければ借りることは出来ますが、やっぱり急ぐのは「薬」です。
毎日、一日3回欠かさず飲んでいる薬。
大晦日の昼以降飲んでいないのです。
健康保険証と共に、お薬手帳は母に持たせているので
間に合わなかったら入院先で処方してもらえばいいのでは? と
思っていましたが、よく考えたら年末年始で窓口さえ閉まっているのですから、
当然薬局だってお休みですよね。
病院から指示されたものは一通り届けてセッティング。
個人的に「あったらいいな」的なものをヒアリング。
滞在中の短い時間(2時間ほど)の間にも、定期的に看護師さんが来てくれて、
床ずれを防ぐために身体の向きを変えてくれたり、
足の保冷剤を変えてくれたり、直してくれたりしています。
完全看護だし、お喋り好きで誰彼構わず友達扱いしてしまう母なので、
まぁ、折った箇所が足で良かったのかも?
自由に動けたのなら、絶対自分の病室でおとなしくしてないでしょうから。
「次は5日に来るね」と言い残し、弟と病院を後にしました。
母は人の話を黙って聞くということが苦手なので、5分で済む話が1時間かかります。
(;´ρ`)チカレタヨ・・・
年末年始の罠
明けて2014年元旦。
クタクタに疲れていたにも関わらず、結局ほとんど眠れないまま新年を迎えました。
(後から聞いたら弟も同じだったようで)
あとから思い出せば、この日の朝、、、私と父は「あけましておめでとう」の挨拶すらしてなかったような気がします。
昨年の正月から、「母が大変だろう」とお節のお重は家では作らずに注文していたのですが、
今年は本当に助かりました(殆ど食べてないんだけどね)。
なんせ、お雑煮も旨煮も間に合いませんでしたから。
お節と日本酒で父に食事を取らせ、
町内で必要なものを買い揃えてから、再度母のところへ向かう予定でした。
が、
弟からの電話
「しまった、、、正月休みでガソリンスタンドが開いてない!
給油出来ないと今日は無理だわ」
ええ、、、はい。
田舎なもので、どっこも営業してなかった模様。
仕方無いので買い物だけして車に積んで終了。
病院に電話して、「早くても3日になります、、、、」と連絡。
とにかく、薬の件だけは念を押されましたが、父が言うようにタクシー使ってまで行く気力は、、、流石にありませんでした。
ちなみに必要品の買い物も、唯一営業していたドラッグストアで買い揃えました。
恐るべし年末年始。
さて、出かける予定が延びたので、
大晦日に出来なかった浴室の掃除と、冷蔵庫の片付けと
旨煮も材料があるのでなんとか父の分だけ作って、
あとはまた結局眠れないので、夜中に雑煮の仕込みをやりました(泣)
クタクタに疲れていたにも関わらず、結局ほとんど眠れないまま新年を迎えました。
(後から聞いたら弟も同じだったようで)
あとから思い出せば、この日の朝、、、私と父は「あけましておめでとう」の挨拶すらしてなかったような気がします。
昨年の正月から、「母が大変だろう」とお節のお重は家では作らずに注文していたのですが、
今年は本当に助かりました(殆ど食べてないんだけどね)。
なんせ、お雑煮も旨煮も間に合いませんでしたから。
お節と日本酒で父に食事を取らせ、
町内で必要なものを買い揃えてから、再度母のところへ向かう予定でした。
が、
弟からの電話
「しまった、、、正月休みでガソリンスタンドが開いてない!
給油出来ないと今日は無理だわ」
ええ、、、はい。
田舎なもので、どっこも営業してなかった模様。
仕方無いので買い物だけして車に積んで終了。
病院に電話して、「早くても3日になります、、、、」と連絡。
とにかく、薬の件だけは念を押されましたが、父が言うようにタクシー使ってまで行く気力は、、、流石にありませんでした。
ちなみに必要品の買い物も、唯一営業していたドラッグストアで買い揃えました。
恐るべし年末年始。
さて、出かける予定が延びたので、
大晦日に出来なかった浴室の掃除と、冷蔵庫の片付けと
旨煮も材料があるのでなんとか父の分だけ作って、
あとはまた結局眠れないので、夜中に雑煮の仕込みをやりました(泣)
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